■ 創業から4年後の1950年(昭和25年)、新天町は全店舗一斉の大改装に踏み切った。もともと終戦直後の物資不足の中で強行した建設だっただけにそこかしこにアラが見え始めており、新天町の後に生まれた商店街が見栄えして映ったということもある。6月に起きた朝鮮戦争の特需による好況も後押しした。
8月20日にスタートした改装は、9月末に完成。延べ288㍍という大規模なアーケードは、西日本初のお目見えだった。1800枚の網入り特殊ガラスで作られたその天井は、明るい光を取り込んで買い物客をまぶしく包んだ。すぐに「降っても照っても新天町」の名キャッチフレーズが生まれた。
当時の西日本新聞ではこう伝えている。「完全な平面デパートへ。生まれ変わった新天町商店街――戦後商店街のトップを切って焼け野原に誕生した商店街は、当時その華やかさでアッと言わせたものだが、その後相次いで生まれた商店街が美観を競ったため、やや押されぎみとなり、ここに面目一新を図ろうと改修工事となった。新装成った同町は白亜の総2階建て、通路上は総ガラス張りとし、その下に蛍光灯を取り付けて夜間営業に資するという完全な平面デパート式となっており、福博に新名所が一つ増えたわけである」(10月13日付)
天気や時間を気にせずに、真っ白でモダンな店でショッピング。人々を「やっぱり新天町」とうなずかせた変身だった |