新天町物語
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第4回
創業と新天まつり
新天町物語
開店間もない新天町(1946年)
写真は東口付近の様子。「復興は新天町から」と期待を寄せた市民が押し寄せ、買い物や舞台、福引を楽しんだ

最初の新天まつりのチラシ(同年)
新天町落成祝賀の招待券とともに、「1等から5等まで300名に当たる運だめし」の福引券が刷り込まれている

■ 1946(昭和21)年の秋に創業が決まった新天町。8月末には、21軒の開店のめどが立ったことから、新天町商店街公社は「いよいよ9月1日開店」と新九州新聞に広告を出した。戦後の商店街による新聞広告は、福岡市では初めて。全国的にも珍しいものだった。

晴れて落成創業式が行われたのが10月15日。その日から3日間、「新天まつり」の名で盛大に大売り出しが行われた。「全店舗、腕によりをかけて競争安売り」と呼び掛け、新天町は大にぎわい。西日本新聞では、その様子を「各商店を回る人波は四千坪の敷地を埋め尽くし、漫歩する市民の顔も復興の歓びと期待に明るくほころんでいた」(10月16日付)と伝えている。

商店街東側の空き地だった場所には、特設舞台が作られた。舞台では、生田徳兵衛の博多にわか、藤間小伊勢社中の日本舞踊が華やかに披露され、まさに祭りさながら。人々を大いに楽しませた。

さらに、戦後初めて福岡で復活した福引も人気を呼んだ。福引券はチラシに刷り込まれ、景品は1等「花器」、2等「鉄びん」、3等「真ちゅう製火鉢」、4等「お盆」、5等「台所用品」。物資の少なかった当時、どれも貴重品だったことはいうまでもない。

福引会場には、来福中の松竹映画スター・佐野周二が招かれている。出演謝礼はカッターシャツが2枚だったとか。物資不足の中で新天町が精いっぱいの心尽くしをした様子が伝わるエピソードだ。

 
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