写真は1949年の飾り山
「博多夜話恋錦絵」(小島与一作)
今年も7月14日(月)まで新天町で飾り山が楽しめる。標題は表「波浪一箭射紅扇(はろうのいっせん こうせんをいる)」、見送り「探偵学園Q」。人形師は亀田均氏 |
■終戦直後の天神に、新天町が生まれて4年目の1949(昭和24)年。戦前の一流の博多商人が天神に進出してできた新天町では、その年「おれたちも生粋の博多っ子。山笠を立てて町を盛り上げたい」と飾り山を計画した。ところが、700年の伝統を誇る博多祗園山笠では、飾り山は福岡市の旧博多部の6ブロックに各1本立てられるのがしきたり。その計画が知れると、各方面に衝撃が走った。
博多祗園山笠振興期成会では「福岡部に立てるのはまかりならん」と新天町に中止を申し入れた。両者なかなか引かずに一悶着となるが、ねばり強い話し合いによって期成会の了承が得られた。
新聞でも報道され、市民を巻き込んだ「福岡部」への山笠進出論争だったが、新天町のパイオニア精神と「市民に楽しみを提供したい」という熱意が、伝統の祭りに新しい歴史を刻んだといえる。
注目を集めた新天町初の飾り山の標題は、表「根元草摺引(ねもとくさずりびき)」、見送り「博多夜話恋錦絵(はかたよばなしこいのにしきえ)」。博多人形師の名人・小島与一氏が得意中の得意としていた歌舞伎物だけに、その出来栄えは素晴らしかった。
山笠期間中に福岡を訪れていた日本占領連合軍最高司令官・マッカーサーの夫人も、この山に「ワンダフル」「ビューティフル」といたく感激していたという。 |
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