■ 福岡の夏の始まりを告げる、博多祗園山笠。中でも子どもたちが輝く笑顔で参加する「子供山笠」は、元気で愛らしい。現在、子供山笠があるのは3カ所。博多小学校区と千代流、そして新天町だ。
戦後、子供山笠が姿を見せたのは、大空襲で山笠が中止になった翌年の1946(昭和21)年5月、奈良屋校区の復興祭。その後、1971年に下川端町寿通の河原由明さんが自費で本格的に手がけた。本来、山笠は中学生にならないと参加できないが、できるだけ早い時期から後継者を育てたいとの思いからだったという。
新天町が子供山笠を考えたのは1980年。「山笠に参加できない転勤族や福岡部の子どもたちにも楽しさを伝えたい」との声が上がったのだ。発起人は当時の新天町商業協同組合の役員だった泰松銀ニ郎(刃物の店 豊勝)、足立憲弘(服地専門店アダチ)両氏だった。
河原さんにその思いを伝えに行くと、「山笠ば知らんでお世話はできまっせんめーもん」という言葉が返ってきた。新天町は元々博多部出身者が多いのだが、当時山笠に参加していたのは5人ほどしかいなかったのだ。そこで、その年から新天町の若手約25人が大黒流の山笠に参加。体当たりで勉強することになった。
新天町で子供山笠が実現したのは、それから8年後の1988年。以来、山笠期間中は大人顔負けの「オッショイ」という声が天神にもこだまする。飾り山と並ぶ、新天町の夏の風物詩だ。 |