■新天町に、驚きと笑顔が咲いた
「新天まつり」は、1946(昭和21)年の新天町創業の大売り出しをきっかけに、その後、毎年10月に行われていた。前回に続き、その変遷を振り返ってみた。
51年の新天まつりには、装飾として仙台七夕が飾られた。併催された園遊会模擬店は、おでんやすしなどの店が出て大好評。あでやかな舞妓(まいこ)さんの接待も話題となった。
翌年には、宮崎県の伝統芸能であるしゃんしゃん馬、ひえつき節、飫肥(おび)泰平踊りの担い手およそ100人が招かれた。まげ姿の花婿が、角隠し姿の花嫁を乗せた馬の手綱を引いてシャンシャンと鈴の音を響かせ、三味線、太鼓、尺八のはやしに合わせて道中唄をうたいながら歩いて回る「しゃんしゃん馬」は、珍しさも加わって大変な人気に。また、戦後、日向芸能が他県に出たのはこのときが初めてだったとか。新天まつりのチラシの文句には「門外不出の」とうたわれていた
次の年の新天まつりにも、人々は大いに度肝を抜かされる。新天町は当時、まだ珍しかったヘリコプター1機をチャーターし、空から宣伝のビラ5万枚をまいたのだ。このときのステージで披露されたのは、京都から呼ばれた 園ばやし。ビラを手にした人々がどっと繰り出したことはいうまでもない。翌年には、ミス・ユニバースで世界3位となった伊東絹子、ミス日本の原田良子が招かれている。集まった人は2万5000人にものぼり、殺到するファンに二人は車から出られないほどだったという。
その後も毎年趣向を凝らし、人々に数えきれない驚きや笑顔を送った新天まつり。現在は「大ワゴン祭」へと姿を変え、秋のイベントとしておなじみになっている。今年は10月2日から開催中。福岡ダイエーホークスの優勝も重なって、大いに盛り上がりを見せている。 |