■伝統行事もアイデアいっぱいに
福博の秋の風物詩といえば「せいもん払い」。1879(明治12)年から続けられ、市民の胸を躍らせている一大バーゲンだ。しかし、戦争中はそうもいかなかった。物資不足などに悩まされ、1941(昭和16)年に中断を余儀なくされていた。
そんな中、戦後すぐの46年に創業した新天町と福岡商工会議所が中心となって、同年11月18日から戦後初のせいもん払いを行うことに。人々が大好きだったイベントを復活させ、明るくにぎやかにして、笑顔を取り戻してもらおうという心意気だった。
新天町での呼び名は「大せいもん」。当時わずか4ページだった日刊紙に2段を占める広告を出すという意気込みよう。予想を上回る買い物客が押し掛けて、盛況御礼の広告を出すほどだったという。
話題となったのは、51年の大せいもん。秋に行うこととかけて、なんと運動会仕立てのバーゲンにしてしまった。「買物運動会」と銘打って、「投げ売り競争」「掘り出し物競争」と参加したくなるような企画を次々と考案。楽しげなキャンペーンカーで街中に知らせて回った。
53年には、大せいもんの前哨戦として一足早く11月16日から「仲見世開き」を行ったのが注目された。東京浅草の仲見世をヒントに、南北両通りの中央にそれぞれ2列、張り店の特価台を置いたのだ。新聞記事には「本店と出店の2本立てで客の目を引こうとの苦心の作。目をつむらない限り、イヤでも商品が目につくのがミソ」(11・17/西日本新聞)、女子従業員も博多にわかの半面をかぶり赤の鉢巻、声をからせて」(同/朝日新聞)とある。
伝統の行事にもアイデアを駆使して一工夫。いつも人々をアッと言わせようと考えている新天町らしいエピソードだ。 |