新天町物語
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第9回
新天町の大せいもん
新天町物語
運動会仕立てで楽しげに行われた「大せいもん」(1951年)

仲見世でさらに大にぎわい(1953年

■ 福博の秋の大バーゲン「せいもん払い」。新天町では「大せいもん」と銘打って、毎年趣向を凝らして人々を楽しませてきた。

1963(昭和38)年の大せいもんは、少々物議を醸した。恒例の11月18日スタートに先駆けて、前夜祭的な「露払い売り出し」を行ったからだ。これには全市一斉に18日からとする足並みを乱すものだと福岡商工会議所がカンカンになった。新天町はあくまでもムードを盛り上げるためだったことを説明。最後は円満解決したが、熱心さのあまりの勇み足といえる年となった。

68年は、年配店主のハッスルする姿が新聞に取り上げられている。「常務も呼び込み せいもん払い最終日――せいもん払い最終日でごった返す新天町では『このごろの若いもんは客を呼び込む声も足らん。作法も知らん』と『志ぼり屋』常務・井上健次郎さんが、うちわ太鼓を持ち出して『サアー、イラッシャイ』とたたきまくった。うちわ太鼓には享和元年創業8代目と書かれ、いわば生っ粋の博多商人の伝統を売る勢い。くるりとむいた着流し結城紬(つむぎ)の背に短冊型のビラを背負って」(11月21日・朝日)。このころは、各店とも世代交代期に差し掛かっていた時期。新天町創業期の一世たちがその精神を肌で伝えようとしていたに違いない。

79年には、開催中の大相撲九州場所に掛けた広告を西日本新聞に掲載(11月15日・夕刊)。真ん中に赤刷りで横綱・若乃花の実物大手形とサインを置き、南北両通りを番付風にレイアウトして「全86店が総力をあげて待ったなし。東西ずらーり揃って本店の街新天町の大せいもん」と盛り上げた。

その後、お客を巻き込んでの優秀店選びや呼び込みコンテストなども行い、催しの水準を向上させていく。いつも「皆と一緒に盛り上がろう」そんな気持ちがあふれていた。

今年は、15日から20日まで全店が心を一つにして大にぎわい。さあ、どんな楽しみが待っているだろうか。

 

   
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